SonyMusicShop amazon.co.jp
ワンマンツアー“ハッピーエンド 2012-2013”2013年公演発表!!
最新情報!!
RELEASE
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
試聴
CD収録楽曲
試聴…試聴)


DVD収録楽曲

「エンドロール」Music Clip 主演:忍成修吾 出演:田中要次、マメ山田、紗倉まな、フラワーカンパニーズ 監督:柿本ケンサク
常田真太郎(スキマスイッチ)からのコメントはこちら!
常田真太郎(スキマスイッチ)を起用した理由は…?
レーベルチーフプロデューサーが語るフラカンとは?
MOVIE

「エンドロール」RECORDING #2

「エンドロール」RECORDING #1

「ハッピーエンド」初回盤DVD収録
LIVE映像 予告編

「元少年の歌」-Full ver.-

「深夜高速 (2009)」

「この胸の中だけ」

「OTODAMA '08」ライブ映像

「感情七号線」
2011.11.22(Tue) at LIQUIDROOM

「東京タワー」2011.11.22(Tue) at LIQUIDROOM

「切符」
2011.11.22(Tue) at LIQUIDROOM

「はぐれ者讃歌」
2011.11.22(Tue) at LIQUIDROOM
フラワーカンパニーズ Official YouTube Channel 開設!!
閉じる

常田真太郎(スキマスイッチ)からのコメント

2002年くらいに新宿LOFTへ友達のライブを見に行った時、その日の対バンの中にいつか会ってみたかったバンドの名前を見つけた。同郷であり、地元の学生の時からの音楽仲間から勧められて聴いていたそのバンドは、以前に渋谷WESTに見に行ったステージと変わらず、その日もとてもパワフルなステージで、思わず終演後に楽屋まで行って圭介さんに話しかけてしまったくらいだった。
しかもそこから予想だにしない展開となり、その一週間後には圭介さんと二人で居酒屋に行き、そこで現在の音楽業界(特にバンド業界)に対してのくったくのない意見や疑問を投げかけあったりしたのだった。
そして時は流れて2011年の年末。幕張で再会した圭介さんの口から出た言葉はまた僕を予想だにしない展開へと導いていく。「なんかちょっと一緒にやらん?」
最初は「もちろん!よろしくお願いします!!」ととっさに返してみたのだが、なんといっても2012年で23年目の大先輩バンドである。同郷、隣の中学校とはいえほぼ直属の先輩だ。
その中に僕が入って何が出来る?何が言える?とっさに答えてみたものの、のしかかるプレッシャーは矢場トンのワラジ味噌カツよりも重かった。しかし、思ってもみないオファーではあるものの、逆に言えばフラワーカンパニーズと一緒に仕事が出来る、実際に一緒に音が出せるのだ。
そう思ったとたんにそのセッションはとても魅力的なものになった。事実、一緒に音を出している時間は本当に幸せで楽しくて、自分が観てきた、聴いてきた歴史に直接触れているような感覚でとても不思議な、それでいて至福ともいうべき時間になった。
何より感じたのは、バンドという唯一無二な関係の中での信頼感という、言葉でいうととても薄っぺらくなってしまいそうなそのとてつもないチカラの凄さだった。4人が4人であるために存在し、さらに4人が1つのために存在する。フラワーカンパニーズとは間違いなくそんなバンドだった。
「エンドロール」…間違いなく、僕のターニングポイントとも呼べるような、そんなセッションから生まれた楽曲。実はこの楽曲が完成した日の帰り道、歌詞にあるように”鉄クズ”と同じにならないように、僕も兄さんたちのようにもっと頑張らねば、もっと追求せねばと涙をちょっと流しながら強く誓ったりもした。
フラワーカンパニーズ、いやフラカン兄さんたち、ありがとうございました!
また、よろしくお願いします。名古屋南西部会も引き続きよろしくです(笑)。

常田真太郎

閉じる

「エンドロール」で常田真太郎(スキマスイッチ)をプロデューサーに迎えた理由。

鈴木圭介: そもそもの接点はね……。常田は、隣の中学出身なんですよ。で、最初は10年くらい前、2002年の頭、フラカンがメジャー・レーベルの契約を切られたばかりの頃。俺が一番、精神的にダメな時、どん底の時で、とにかく、人と一緒にいないと……ひとりでいるのが怖かったから、いろんな人と飲みに行ったりしてた頃。酒飲めないのに(笑)。
その頃に、新宿ロフトでイベントに出たんですよ。ヘルマン(&ザ・ペースメーカーズ)と、バックホーンと、サンプリング・サンってバンドと、フラカン。で、客席でライヴを観てた時に、話しかけられたんですよ。「実は僕、天白中学の隣の神沢中学なんです」「そうなんだ?」って。そん時は俺、もう人恋しくてしょうがないから、「じゃあ今度、一緒に飲みに行こうよ」って、その数日後にふたりで飲んだんですよ。その時は常田、まだデビュー前で、スキマスイッチって名前もその時初めて知って。それで、2回ぐらい飲みに行ったのかな。1回目は一晩ぐらい飲み明かして。まあ、ほとんど、俺の話をきいてもらってるだけだったんだけど(笑)。
それで、そうこうしてるうちに、スキマスイッチ、バーンと売れちゃって。「あれ? あいつじゃん!」って。で、しばらく連絡なかったんだけど、『脳内百景』(2006年)のレコーディング中にね、電話があったんですよ。留守電に入ってたんだけど、あっちはもうバーンて売れちゃってたし、「なんか連絡しづらいなあ。もう距離も開いちゃったしなあ」って思って、電話を返さなくて。それで、ずっと空いてたんだけど、久々に再会したのが……『ap bank fes.』に出た時か(2010年夏)。打ち上げがあって、そこに常田が来てて。「ああっ、久しぶりだねえ! ごめん、あの時、畏れ多くて電話を返せなかったんだよね」とか話をして。で、その時彼は、俺らが出るから見に来てくれた、って言ってて。「あっほんとに? じゃあ今度、手伝ってよ。弾いてよ!」とか言ったら、「もちろん! ガチでやりますよ!」って言ってくれたんだけど、「そうは言っても無理だろうな」とか思ってて。で、月日はまた流れ、その次に会ったのは去年の大晦日ですよ。
グレートマエカワ: 「COUNTDOWN JAPAN」ね。俺たちがピンチヒッターで、一番でかいステージに出た時の(笑)。(※体調不良で出演キャンセルとなったCoccoの代わりに、12月29日のEARTH STAGEに急遽出演した)
圭介: 「『ap bank fes.』以来だねえ」って、また話して。で、またその時も「弾いてよ!」「いや、頼まれたら俺、本気でやりますよ!」って。
グレート: ちょうど常田がスタジオを作ったタイミングで、「そこでやりますよ!」って。
圭介: 「ストリングス・アレンジとかも全部やれますから!」って。でもまあ、その時もそこまで現実味はなく、「いつか一緒に何かやれたらいいな」ぐらいの感じだったんですよ。
で、このアルバムをレコーディングしてる時に、"エンドロール"って曲が、もう、全然できなくて。歌詞がねえ……曲のテーマも、かなり揺れたんですよ。今までで一番、歌詞を書き直した曲で、もう30回ぐらい書き直して。最初はもっと、原発問題のことをストレートに歌った曲だったんだけど、どうもこう、座り心地が悪くて。「いまいちだなあ」って延々と書き直しながら、「最終的にこれ、形にならないかもしれないなあ」って言ってて。
完全に歌詞先行で作ってたから、曲も、全然いい具合にできなかったんですよ。メンバーにも歌詞を配って、「ちょっと曲をつけて」ってやってみたりもしたんだけど、それもうまいこといかなくて。で、レコード会社のスタッフに相談したんですよ。「曲ができないから、誰かと合作とか、コラボレーションとか、どうですかね?」って。
グレート: アレンジ的なものを、手伝ってもらうとかね。
圭介: そう、前に「感情七号線」の時に、亀田(誠治)さんにアレンジを手伝ってもらったような。「あ、それありじゃない?」「ただ、誰とやりたいかっていうアイディアは、まだ全然ないんですけどね」って、家に帰ったら、「……待てよ」と思って。「常田がいたな。ありだ!」と思って。常田だったら流れもいいっていうか、ただ売れてる人をプロデューサーにひっぱってきたとかじゃなくて、俺のことも知ってるし……最初に飲んだ時、俺、全部さらけ出したから(笑)。
グレート: フラカンのこともよく知ってくれてるし。
圭介: そう。それで、帰って2時間ぐらいして、深夜にディレクターに電話して。「実はスキマスイッチの常田くんっつうのがいるんですよ」「あ!それおもしろいかもしれない!」って。あと、常田くん、アレンジもできるけど、言葉もできる。スキマスイッチ、常田って、作曲&アレンジのイメージだったんだけど、歌詞も書くんですよ!俺、歌詞も煮詰まってたから、それもぜひお願いしたくて。で、オファーしたら、うまいことスムーズにいったんだけど。とはいえ、あっちもちょうどアルバム作ってるタイミングだったから、すっごい忙しくて、ほとんど一緒にはやれてないの。
グレート: ミーティングを1回して、そのあと1回スタジオみんなで入って、その次はもうレコーディング。
圭介: そのミーティングで、まず歌詞を見せて。それがねえ、ものすごく、おもしろかったんですよ。歌詞の、いわゆるテクニックを持ってるんですよ、彼は。まず最初に言われたのが、「歌詞のここの箇所とここの箇所、時間軸、ずれてますよね」って。
グレート: 「季節が違いますよね。これ今の歌なのか、過去の歌なのか、曖昧ですね」って。
圭介: そんなこと俺、考えたことなかったんですよ。時間軸とか。「はっ……言われてみればそうだね」って。あと、「こことここは合わせた方がおもしろいですね」とか、「こことここ、つなげられますよね」とか、そういうのが見た瞬間にパッパッ出てきた。
グレート: 1回読んだだけでね。ちょっとびっくりしたね、あれ。
圭介: 「うわー!」って思って。もう鳥肌立ったもん、ほんとに。で、曲ができたばっかりだったから、それも渡して「あとで聴いてみて。いつものように四畳半フォークみたいな曲だから、もうがんがん変えてもらっていいから。オーバー・プロデュースぐらいでいいから、好きなように考えてくれない?」って。そのあと、1回一緒にリハに入って。まず書き直した歌詞を見てもらって、また打合せして、それから曲を、5人でアレンジを作り直して。曲の頭の部分は一緒なんだけど、後半は相当作り直してくれて。
レコーディングの当日も、俺と常田は先にスタジオに入って、そこで歌詞を見てもらって、また書き直して。それがねえ、すごくおもしろかったというか、勉強になったというか。ものすごい説得力があったんですよね。今まで全然意識しなかったような……自分は、テクニックとか、全然持ってなかったから。これまで、ディレクターとかに歌詞のダメ出しとかは受けてきたけど、テクニカルなことは言われたことがないんですよね。「こっちの方がおもしろいじゃん」とか、「ここの歌詞いまいち」とか、そういう言い方だけで、「なぜ?」っていうのがわかんなかったんですよ。そうすると、「結局は、こっちの方が好きとか嫌いとかっていう好みの問題じゃん」っていうのが、心の中にずっとあって。それでスタッフともめたこともあったし。
でも、常田の場合は、「ここはこういう言葉の方がよくないですか? なぜならば、こことここがこうだから、ここはこうした方が、こっちの言葉がこんなふうに活きますよ」って、全部論理的なの。全部テクニックなの。で、逆に誉められることもあったわけ、無意識に書いたので。「ここがすばらしいんですよ。なぜならばこことここにこうつながってるから、これは圭介さんにしか書けない」とか。で、彼がすごい気に入ってくれたフレーズがあって、「ここだけはレコード会社のスタッフに言われても絶対に変えないでくださいね。これは絶対他の人には書けないから」って。そういうのもすごいうれしかったし。
だから、すごい自信につながったのと、そのあと歌詞っていうものに対する考え方がすごい変わった。他の人の歌詞も……それまでは、歌詞っておもしろいおもしろくないでしか見てなかったんだけど、他の人の歌詞を見るのがすごくおもしろくなって。そうやって、「なるほど!」っていうのが、アルバムの最後に書いた曲でわかっちゃったから、それ以前に書いた曲が……「ああっ! 最初に常田とやっとけばよかった!」って。
グレート: 言っちゃった(笑)。
圭介: だけどまあ、それはそれで、テクニカルじゃなかったから書けた歌詞でもあったのかな、っていうのもあって(笑)。いや、でもねえ、意外に俺みたいな人、けっこう多いと思いますよ。曲はさあ、けっこうがんがんディレクションされるんだけど、歌詞ってそんなでもないんじゃないかな。「なんかいまいち」とかじゃなくて、論理的に直してくれる人がいるっていうのは、みんな、あんまり経験ないんじゃないかな。俺、歌詞の中で「ここいまいちかなあ」って思ってたとこ、全部指摘されたもん。しかもねえ、うまい言い方でくるんですよ。俺の戦意を喪失させないような。
グレート: 基本的に合うんだよね、圭くんと。
圭介: うん。最初の段階で、俺の名前を全部きいてもらってるような人だから。全然年下なんだけど……アニキっていうとあれだけど、精神的には明らかに俺より大人だし、強いんですよ。打たれ強いというか。「歌詞は、どんだけ直しを入れられても、僕は何べんでも書き直します」と。「歌詞は、書き直せば書き直すほど絶対よくなると思うんです」っていうのが、彼の持論なの。俺、逆だったんだよ。最初に書いた歌詞が一番よくて、いじくり回せばいじくり回すほどダメになるっていうことが、何度もあったの。時間かけずに書いた歌詞が、あとあと残っていく曲になって。"深夜高速"とかもそうだし。迷わず作った歌詞が一番いい歌詞だって思ってたから、それ言われた瞬間に「おおっ……なるほど」と思って。だから、俺が今まで直してダメだったのは、直しが足りなかったというか、甘かっただけなんだなと思って。そういうのが、彼とやったことで、パアッと拓けたっていうか。
あと俺、精神的なアップダウンの波が激しいからさ。だから、ああいう、揺るがない強さを持ってる人に弱いんだよね。
グレート: 俺もさ、常田くんの歌詞のジャッジを横で見とってさ、まずその時点で、よかったなと思ったもん。これ、これからの鈴木にとって、すごいいろいろ広がるんだろうなって。たとえば、俺とかさ、(湯川トーベン)さんにベースのことをきいたり、竹安がアビさん(Theピーズ)にギターのことをきいたり、あるけどさ。でも、ヴォーカリストってそのへんちょっと違うじゃん。
圭介: プレイのことは話すんだけどね。倉持さん(YO-KING)とか曽我部(恵一)とかに、「発声とかやってる?」とか、そういう話はみんなとするんだけど、歌詞のこととか曲のことは、みんな言わないし、俺もプライドがあってあんまりきかないし。
グレート: だから、これまで歌詞のことをディレクターに言われたり、俺たちに言われたりすることはあったけど、それとは全然違う次元で。すごいことがここからはじまったな、このあと全然変わるんじゃないかな、っていう出会いだったね。
圭介: 昔、レコード会社のスタッフにしごかれたこととかもあったんだけど。でも、「これ、よくない」とか「つまんない」って言われるだけで、なぜつまんないのかは言われないんですよ。それが自分では、どうも理不尽にしか思えなくて、「結局好き嫌いじゃねえか」っていう。そうなってくると、よくないのが、その人の顔色をうかがうようになる。「あの人、こういう曲好きなんだよな」っていう曲を作るようになってる自分に、その時気づいちゃって、「ああ、もうダメだ俺、負けたな」って思った。それ、メジャー・レーベルを切られる寸前のことで、結局切られたんだけど、だから、切られてよかったの、結果的には。『吐きたくなるほど愛されたい』を作ってた時だったんだけど、あのまま行ったら、負けたアルバムを作っちゃっただろうし。
だから、なんでダメなのかがよくわかんなかったんですよ。っていうのが、常田に会ってガラガラと壊れて。すごい出会いだったと思いますね。
文:兵庫慎司(ロッキング・オン/RO69)
閉じる

レーベルチーフ・プロデューサーが語るフラカンとは?

レーベルチーフ・プロデューサーが語る、フラカン・メジャー復帰からニューアルバム『ハッピーエンド』までの4年間

メジャーからドロップアウト→メンバーがマネージャーを兼ねる完全にDIYなインディー活動→じわじわと上昇(ただしほんとに「じわじわ」レベル)→だんだん世の中が再発見→まさかのメジャー復帰、という道を歩んだのが2008年までのフラカン、そして『たましいによろしく』『深夜高速トリビュート』『フラカン入門』『チェスト! チェスト! チェスト!』と、オリジナル2枚・それ以外2枚のリリースを経て、14枚目のアルバム『ハッピーエンド』に辿り着いたのが、2012年秋までのフラカン。その2008年から現在までの流れを、フラカンのスタッフのひとりであり、直接的に関わったのは2008年以降だがバンドのことは1993年頃から知っているレーベルチーフ・プロデューサー、薮下晃正にきいた。

──そもそも、デビュー前からフラカンはご存知ですよね。あの時はどういうふうに見てたんですか?

薮下:あの時は、先輩の丸澤さんがディレクターだったから、もちろん知ってたし、応援してた。当時、俺も丸澤さんもキューンにいて、キューンが立ち上がった頃の新人枠で、フラカンをやりたいって丸澤さんが推したんだけど、当時のボスがどうしてもOKしなくて。で、「何でだよ!」って、みんなで会社の机にフラカンのステッカー貼りまくったりして。それが逆効果だったって説があるんだけど(笑)。丸澤さん曰く、「おまえがあんなイタズラしたから契約できなかったんだ」って。
だから、すごいおもしろいバンドだなあと思ってて。「キチガイのふりしてさ」を、はたしてメジャーから出せるのかって問題は、当時あったんだけど(笑)。(※当時のフラカンの代表曲、"紅色の雲"の中のフレーズ。のちに2ndアルバム『フラカンのマイ・ブルー・ヘブン』に、その箇所をごまかして収録)。だから、もちろん視野に入ってたし、応援してたし。あと、当時俺が担当してたバンド、カスタネッツとか、エレファントラブとかとも接点があったしね、フラカン。対バンしたりして。


──その頃はどう見てたんですか? こう、がんばってはいるし、そこそこはうまくいってるんだけど、そこまでうまくはいってないフラカンというのを。

薮下:いや、傍目にはうまくいってるようには見えたけどね、ある程度。でも、あの時代って、それまでのメジャーのやりかた……「ジャケットは顔写真!」みたいな世界じゃなくて……ちょうど渋谷系の頃だから、もっと斜に構えたアプローチが出てきた頃だったでしょ。だから、それとは逆行してるというか、ちょっと前のメジャーっぽいというか、80年代っぽいアプローチだな、もったいないなあと思ったことはあった。ライヴで観ると、もっと尖がったバンドだったしね、フラカン。そうだ、これ、今回絶対言いたいなと思ってたんだけど、そのデビュー前の頃、俺、兵庫くん(インタヴュアー)にさあ、「薮さんやったらいいじゃないですか」とか言われたんだよ(笑)。「いや、先輩がおっかけてるバンド、さすがにできないだろ俺が!」って思ったんだけど。

──いや、当時、なかなかメジャー契約が決まらなくて困ってたんで、「やってくれればいいじゃん!」って思って(笑)。で、話を戻すと、デビューしてしばらくはよかったけど、うまくいきかけてるんだけどうまくいかない、っていう状態が続いているうちに、事務所がなくなり、レコード会社がなくなり、薮下さんの視界から消えていったと思うんですが(笑)。それが再度視界に入ってきたのは、いつ頃なんですか?

薮下:いや、もちろん“深夜高速”とかは、めちゃめちゃいい曲だなと思ってたし。で、トラッシュレコードで、インディーズ的なアプローチでがんばってやってるなあって思ってたけど。でも、一緒にやるとかいうことは、考えてなかった。正直、メンバーもそういうつもりはないんだろうな、って思ってたし。バンドとしても、インディーズで自分たちでやってる今の状態を、よしとしてるんだろうなって。それこそ、曽我部(恵一)くんのROSE RECORDSとか、向井(秀徳)くんのMATSURI STUDIOみたいに、自分たちでやる動きとして、確立されてるんだろうなと思ったし。

──それが変わりだしたのは?

薮下:やっぱりARABAKI ROCK FES.で久々に観た時だなあ。2008年の。ミドリとゆらゆら帝国が出るから行って、そこでたまたま観たんです。その時の“この胸の中だけ”がめちゃめちゃよかったんだよねえ。それでしびれて。「なんかすごいことになってるな、フラカン」と思って。そのあと、またライヴを観に行くようになって……フラカンは本質的には変わってないんだけど、むしろ時代の状況が追いついちゃって、昔よりもよくなってる感じがすごくしたんですよ。“東京タワー”なんかも、あれかなり前の曲だけど、今聴くとむちゃくちゃいいんだよね。今だと響き方が違うというか、フラカンの負け犬系の曲に、現実が追いついてきちゃったっていうか。すごいリアリティ持ってるな、今、必要なロックだなって感じがしたのね。なんか、時代に発掘されてる感じがした、フラカンが。

──で、アプローチしたんですか?

薮下:うん。まあ、元々知ってるし。で、話したら、向こうは逆に「え、今さらメジャーの話なんてありえるの?」みたいな(笑)。その頃、同じような感じで、「最近フラカンいいよね」って、いくつかマネージメントからアプローチされてて、そのマネージメントの誘いで、何社かレーベルも来たりしてたらしいんだけど。でも、まあ、結果うちになって。

──あの、素朴な疑問として、レーベルは違うけど同じソニーグループじゃないですか。松田聖子みたいに、移籍した大物が戻ってくるっていうのはわかるけど、言ってしまえば売れなかったから契約を切られたバンドともう1回契約するっていうのは、ほかに例ってあります?

薮下:……確かにあんまりないよね(笑)。でも、別に、会社には止められなかったし(笑)。まあ、昔も俺がディレクターやってて、また俺がやるっていうだったらなかったのかな?って思うんだけど、そうじゃないから。自分としても、昔のバンドが戻ってくるって感じじゃなくて、視線的には、新しく発見した新人に近い感じで、やりたいと思ったんですよね。 で、フラカンはトラッシュ・レコードを辞めて、次が決まってなくて、でも「いざとなったらライヴで手売りしよう」みたいな感じで、次の『たましいによろしく』を作ってたタイミングで、もうほとんどできていて。「そのまま出していいよ」と。だから、最初の1枚は、ほとんど触ってない。 で、『たましいによろしく』って、フラカンの転換期というか。いちばんフォークっぽいアルバムで、どの曲もイントロなしみたいな。で、この次からどうするか……自分のやり方でいうと、そのバンドのいちばんいいところを、どう抽出して見せてあげるのか、っていうのが最初の仕事だから。だから、メンバーはすぐ新曲をやりたがるけど、数を出せばいいってことではなくて。フラワーカンパニーズとは何ぞや、というのを見せないと、と思って。
 その時20周年だったから、トリビュート盤とベスト盤を出したい、っていうのがバンド側からあって。メンバーからのアイディアもいろいろあったけど、「“深夜高速”がいちばんの名曲なんだから、“深夜高速”1曲のみのトリビュートでいいじゃん!」っていうめちゃくちゃな企画を出したら、意外とメンバーものってきて。トリビュートにありがちな、誰も知らない曲をいぶし銀的にやってもらっても意味ないなあ、と思って、レゲエのワンウェイものじゃないけど、1曲のみのトリビュート、”深夜高速”か“真冬の盆踊り”しかないだろう、と思って、やってみたんだけど。それがすごく化学変化を起こしたというか。あれで注目してもらえたし。


──その次のベストアルバムの方は?

薮下:さっき言ったように、昔の曲を今聴くと、今の方がリアルに聴こえる、っていうのがフラカンはあるから、このタイミングでベスト盤っていうのはいいと思って。以前出てるベスト盤とはちょっと違った視点で、まさに入門編を作って、それをポップに見せられないかなあと。あのジャケットの、石ノ森章太郎の『マンガ家入門』って、フラカンや僕ら世代の、当時の小学生のベストセラーなんだけど。あのデザインすごいよくて、あのネタいつか使いたいな、って前から思ってたから、「ここだ、じゃあ『フラカン入門』にしちゃおう」って、ジャケットも込みであのアイディアで。真心ブラザーズを担当していた時、『KING OF ROCK』から信藤三雄さんにジャケット頼んだんだけど、それと近い感じだった。『フラカン入門』も信藤さんなんだよ。 で、“深夜高速”も“東京タワー”も、すげえいい曲だし、ファンやフェスに来る子は知ってるけど、ただ、実際売れてないからさ(笑)。それをもう1回世に問う、というのは、意味があると思ったし。
例えばフラカン、アウェイなバンドと一緒にライヴやっても、 “深夜高速”のイントロが始まると、お客さん、「おおーっ!」ってなるじゃない? あの2曲って、今の「非リア充感」みたいなものに、めちゃめちゃはまる曲なんだよ。その力は、もう1回ちゃんと形にしないといけないな、と思ったし。


──なるほど。その次の『チェスト! チェスト! チェスト!』は?

薮下:あのアルバムはねえ、20周年が終わって、「まず1枚とにかく名盤を作って」って。それが売れなくてもいいから、トータルで、今バンドがやれることの全力を出して、けじめをつけてほしい、っていう。貯まりに貯まった曲もあったから、あの時点のフラカンのトータリティを出せるタイミングだったし。50曲ぐらいあったしね。ただ、基本はあんまりうるさく言わないで、ある程度好きにやってもらった感じだけど。エンジニアを「この人がいいよ」って推薦したぐらいで。そういった意味では、あの時点でのある種バンドからのステイトメントとでも言うべき名盤になったんじゃないかなと思う。
あと、それくらいのタイミングで、大根(仁)さんにMVを撮ってもらうようになったり、『モテキ』のマンガとテレビドラマで“深夜高速”が使われたり。そういうふうに、非リア充系の今の子たちに、新たに届き始めたりしている感触もあったし。


──で、新しいアルバムの『ハッピーエンド』では、どうなっていくんでしょうか。

薮下:まあ、だから……『チェスト! チェスト! チェスト!』までは、鈴木圭介の自己治癒時代というか(笑)。プライベートも含めて、相当、頭の中がぐるんぐるんしてる中で、作った……ほんとにぐるんぐるんしてる曲ばかりだし。あれがあるから再スタートできてると思うし、あれがないと次に行けないという意味では、必要なアルバムだと思うんだけど、今聴くと、痛い曲が多いよね。悶々とした感じが伝わるというか。
だからまあ、いいアルバムなんだけど。でも、次は……いつまでも自己治癒し続けてもらってても困る、っていう(笑)。このまま自己治癒し続けるんだったらインディーズでもいいじゃん、もっとしっかり時代を見すえて……せっかく時代が追いついてるのに、このままだとどっかでY字路で分かれちゃうぞ、追い抜かれちゃうぞみたいな(笑)。っていうことになる前に、ちゃんとしたものを作らないといけない、ということを、初めて話し合ったかな。
だから、相当、曲のダメ出しはした。「アルバムを代表するグッとくる曲がない!」っていう。で、具体的に指針を……「なんかピンとこないんだよね」とかじゃなくて、どこがどう弱い、というのを、具体的に。震災とかさ、時代との落とし前のつけかたがぬるい、っていう話をしたりとか。圭介は、いろんなことに対して、自分なりに意見はあるんだけど、それをまだ消化できてないというか。で、それを消化できないから、曲になると今までどおり、「昔はよかったな、今も中学時代と変わらないんだ」みたいな曲ばっかで、「これもう100回は聴きましたよ」って(笑)。少年時代の歌とか、「俺は大人子供だ」みたいな歌で埋め尽くされてたから。
今の時代のリアリティっていうかさ、テレビとかマスコミとかも信用できないし、特に震災以降の中で、何をミュージシャンが物語るかってものすごく重要だし。対象との距離の置き方だったり、真摯な取り組み方ってすごい重要じゃない。いいミュージシャンは、みんなそれやってるじゃん。そういう悶々としたものを自分の中にすごい持ってるのに、それを隠蔽したままっていうのは、すごい不自然だし。自分の立ち位置を明確にしないで、中学生の歌ばっかり歌ってるっていうのはどうなんだ? っていう。今の時代にどう対峙するか、っていうことが見える曲が1曲でもないと、成立しないんじゃないか、っていう話をしたんだけど。


──そしたら鈴木圭介はなんと?

薮下:悩んでた(笑)。で、それで、じゃあ自分はどう対峙するか、っていうやり方を考えて書いたのが、 “エンドロール”なんだけど。でも、“エンドロール”は、最初はホントまとまりがなく、作品として破綻してて(笑)。それで、本人から、一緒にやるようになってから初めて、「これじゃできない」「客観的な視点を持っている人とやりたい」っていうリクエストがあり、常田(真太郎)くんっていうアイディアが本人から出てきた。で、あの曲ができて、初めて、今回のアルバムの最後のピースが埋まったというか、時代と対峙するものができたのかなあ、と。
ただ、“エンドロール”を作ったのが、アルバムの最後の1曲だから(笑)。そこで常田くんとやって、すごくいろんなものをつかんだみたいだから、本当に大きく変わるのは、この次のアルバムからかもしれないですね。



薮下晃正
1965年生まれ。ファッション雑誌の編集アシスタントを経てソニーミュージック入社。
キューンレコード(当時)、ソイツァーミュージックを経て現在はソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズA&R本部チーフプロデューサー。
これまでに手掛けてきたアーティストは、真心ブラザーズ、スチャダラパー、ソウルフラワーユニオン、ネーネーズ、コーネリアス、こだま和文、リトルテンポ、SILVA、YOU THE ROCK、ゆらゆら帝国、ミドリ等多岐にわたる。
現在は同レーベルにてフラワーカンパニーズをはじめフジファブリック、凛として時雨、女王蜂、黒猫チェルシー、ザ50回転ズ、amazarashi、オレスカバンド等バンドを中心とした制作部A&Rルーム3チーフ。
一時はプライベートでレゲエDJとしても活動し、コンピに端を発するレゲエイベント『RELAXIN' WITH LOVERS』を主宰。
2000年、当時ディレクターを務めていたこだま和文のセレクターDJとして、フジロック・フェスティバルに出演した経験もある。


兵庫慎司(ロッキング・オン/RO69)