竹安のギターのすごさをもっとわかりやすく出したい、っていうテーマもあった(グレート)

グレートマエカワ: 今回は前もって「こういうアルバムにしよう」っていうのはなかったけど……ちょっとリフものだったり……もうずっと曲は全部鈴木が書いとったけど、昔、アンティノスレコードにいた頃みたいに、俺が曲を書いてみたり、竹安が曲を書いてみたり。そういう作り方をしてみよう、っていうのは、はじめにあったかな。鈴木も『ハッピーエンド』を作って、全部出しきって、次はどうやって作ったらいいかわからんってところもあったみたいだし。
鈴木圭介: 同じような曲だったらできるんだけどね、それじゃねえ。あと、周りの圧が強かったしね(笑)。「フラカン、今、チャンスです!」みたいな。でも全然出だしの一歩が踏み出せなくて。
グレートマエカワ: だから、最終的には鈴木の曲が多くなったけど、最初はわりと、鈴木の曲よりも俺と竹安が曲をどんどん持ってきて、作り始めたんだけど。
竹安堅一: まあだから、アンティノス時代(一度目のメジャーレーベル所属時代)にやってたことと同じというか。あと、ここ何年かは、歌詞と曲が合致した「いい曲だ!」っていうのを目指してきたとこがあると思うけど、今回はもうちょっと音楽的に遊ぶことができたりとか、そういうことを目指してたかな。
グレートマエカワ: 鈴木が作ってこないと何も始まらないし、っていうのももったいないしさ。あと、さっきの「チャンスです!」っていうことで言うと、「フラカンの曲、使いたいんですけど。プレゼンに曲を出してもらえませんか」っていう話もあったりするじゃん。そこで曲がないと何にもならないから。それもあって、他のメンバーも作ってやってみよう、って。
鈴木圭介: だからデモ録りばっかりやってたね。ツアーの合間、何回もスタジオに入って。
グレートマエカワ: まだ歌詞がなかったりもするんだけど、とにかくいっぱい曲を作って、デモ録りして。アルバム3枚分ぐらいの曲数はあるんじゃないかな。
鈴木圭介: 歌詞がない状態でラララで歌ってみる、っていうの、10年ぶりぐらいだったね。昔は、俺はアルバムの1、2割は曲を書いてて、それ以外は竹安かマエさん(グレート)が曲を作ってきて、そこに俺がメロディと歌詞をのっける、っていう作り方をしてたのが、アンティノスの最後の頃に全部俺が作るようになったじゃない?
──  当時のレーベルのボスに言われたんですよね。もっといい曲を書くために、圭介が全部書く方式でやってみろ、って。
グレートマエカワ: そうそう。で、そのアルバムは出なかったんだけどね(笑)。幻のアルバム。
鈴木圭介: でも、あそこでそういうふうにバランスが変わって。メンバーが書いてきた曲がよくても、その曲に俺がいい歌詞を付けられないと「うーん……」ってなることもあるじゃない。でも自分で曲を書く時は、歌詞まで書いてからメンバーに渡すようにしてたから、その時点で曲のいい悪いが判断できるし、話が早いんだよね。それで俺が全部書くようになっていって、ここ10年ぐらいずっとそうやってきたんだけど、最近、それだとだんだん同じような曲が増えてくるし……自分の体内リズムみたいなのも歳と共に遅くなってきてるから、ミディアム・スローの曲ばっかりになってきたのね。自分がいちばん自然に歌を歌えるリズムが遅くなってきてるから、曲のテンポも似通ってきてたし。
それでふたりも書く、っていうことにしたら、ふたりがすごい勢いで曲を書いてきて。俺が歌詞を付けるのが追いつかないくらいで。そこから、この10曲プラスボーナス・トラックになったんだけど。
──  このままいくと自分たちもお客さんもあきるぞ、という危機感がありました?
鈴木圭介: そうそう。自分でもわかるもん、「似たような曲だなあ、また」とか。そもそも、どんどん音楽性が変わっていくようなバンドでもないしさ。俺自身は、1曲ずつ作ってるから……その時は全体を考えて作ってはいないから、あまりそう感じてなかったんだけど、でも全体のムードとしては感じてた。もっとライヴで映えるような、ワーッとアガれるような曲がもっとほしいなあ、っていうストレスをみんなが抱えてるのは感じてて。ライヴだと、ミディアム・スローの曲ってやりづらいんですよ。ワンマンでも4曲ぐらい、フェスだと1曲ぐらいしかやれないしさ。そうすると、せっかくいい曲なのに1年に1回しかライヴでやれない曲もある、とかいうことになってくると、それはそれでどうなんだろう?っていうのもわかってたから。でも、俺がひとりで書いてると、どうしてもそういう曲が多くなるから。もっとそうじゃない、ライヴで活きるような──。
グレートマエカワ: だから、わりとバックがドカンといけるようなアレンジにしていって。たとえば8曲目の"感じてくれ"とか、今までだったらもっと繊細なアレンジにしてたと思うんだよね。「曲のよさを伝えよう」っていう方向に行ってたから。『たましいによろしく』ってアルバムがそのピークで、それ以降もそういうふうにやってきたんだけど……たとえば、この間の『ハッピーエンド』っていうアルバムに、"旅待ち"って曲あるじゃん。あれいい曲なんだけど……俺もすげえ好きだし、「いい曲ですね」って言ってくれるファンも多いんだけど、やっぱりライヴでなかなかできんのだよね。それは俺らの実力不足、アレンジ能力のなさだと思うんだけど、それをライヴでもバリバリできるようにするには、もっと力強いアレンジにした方がいいんじゃないか、とかね。
あと今回、とにかくギターがドカンて鳴ってるアルバムにしたい、っていうのがあって。竹安にその話をした時に……「でもそれ、自分が昔やってたまんまでおもしろくないんじゃない?」って言われたんだけど。長いことフラカンやっとってさ、やっぱり竹安も進化しとるわけだからさ、メロディーに合うようなギターとか、器用なギターも弾けるようになっとってさ。もちろんそれはすばらしいことなんだけど……なんか違うなってちょっと思うとこもあって。竹安にもっと、一発ガツーン!って弾くだけみたいなギターをもっと弾かせてやった方がいいな、それを竹安のすごさを知らん人たちにもっと聴かせたいなと思ってさ。竹安のギターって、ミュージシャン仲間ではすごいって言ってくれる人、多いんだけど、それと比べるとお客さんはこのすごさをあんまりわかってねえ人、多いなと俺は思っとって。俺はそれにもちょっとストレスを感じてて。そこらへんをもっとわかりやすく出した方がいいんじゃねえかな、っていうテーマもあったかな。

1年、まったく詞ができなかった(圭介)

──  人の曲に歌詞を付けるっていう作業を久々にやってみて、いかがでした?
鈴木圭介: その作業が久しぶりだから……それも、メロディも作ってきてくれたりするから。昔はメロは自分で付けてたから、譜割りは自分の感じでいけたんだけど、それも限定されてたから、全然歌詞ができなかった。数多く曲を作りたいって思って、今回この方法にしたのにもかかわらず、歌詞ができたのなんて1年後くらいだよね。1年、まったく詞ができなかった。いまだに詞ができてない曲、たくさんあるんだけど。全然言葉が出てこなくて。一回インディーになってから以降で初めて、歌詞が書けなくなったのは。歌詞はいくらでも書けるっていう感じで、実際そんな悩まなかったし。いくらでも書けますよって感じだったんだけど、まったく言葉が出てこなかったよね。
──  それはどうやって突破したんでしょうか?
鈴木圭介: まだ突破してないよね(笑)。歌詞だけできてない曲、まだいっぱいあるから。でもまあ、その中でなんとかしぼり出せたのがこの10曲なんだけど。
──  それは人の曲だと言葉を書きづらいから、というだけじゃないですよね。
鈴木圭介: そうだね。その、曲と同じで、前と同じような歌詞になったらダメだ、というのはあったから。手グセで書くとまた同じような歌ができるだろうな、それはよくないな、変えたい、変えないとヤバい、っていう意識はあったんだろうね。
──  で、最終的には納得のいくものにはなりました?
グレートマエカワ: いや、めちゃくちゃいいものができたと思いますよ、それは。曲もそうだし、歌詞の新しい面もそうだし、あと音。ここ3作ぐらいと聴き比べると全然違う。それはレコーディングが違うとかじゃなくて、音の力強さというか、演奏の強さというかさ。今回の方が絶対音いいな、全然違うなと思った。
──  竹安さんはいかがですか?
竹安堅一: うーん……っていうかね、だから、わかんないんですよ。自分の趣味で言うと、すごく好きなアルバムができたんですね。でも、それでいいのかどうかがいまだにわかんない(笑)。自分の趣味で言うと、やっぱり古いロックが好きだから。このアルバム、今まででいちばんシンプル極まりないっていうか。ギターも1本しか使ってないし、アンプもフェンダーとマーシャルの2台、以上!って感じだし。テクニックもすごくオーソドックスなものしか使ってなくて、テクノロジーも一切使ってない。録ってる時も、「いじりすぎない」っていうことばっかり考えてて、ギター1本ですむなら1本にする、なるべくオーバーダビングしない、っていう。
だから「こんなにギターかぶせなくていいのかな」っていうくらいかぶせてないですね。やっぱ1本の方が音が太いんだよね、奥行きも出るし。だからすごく好きなサウンドのアルバムだし、好きな世界観なんだけど、人が聴いてかっこいいのか、地味に映るのかは出してみないとわかんないですね。ただ、変わった感はあると思うんで。さっき言ってた「このままじゃあきるぞ」っていうのを打開したっていうのも含めて、このアルバムには期待したいなっていう気はします。
ミスター小西: とにかくパッと聴いて、強いものがやりたかったから。全体に太くて角張ってるというか、そういうことばっかり思ってたから。ミディアム・スローの曲でも、これまで叩いてきたドラムと自分のアプローチを変えたかったし。ドラムが変われば、上にのるギターやベースももっとすごい音になるだろうし、全体に迫力あるものになると思うし。今回のアルバム、1曲目からもう音が違うと思うんですよ。ゴツッとくると思うんです。そういうものにできたかな、と思います。
鈴木圭介: やっぱりさ、"深夜高速"以降、ミディアム・スローの曲の重心が大きくなっちゃってたんだよね、知らず知らずのうちに。あれを超える曲を書かないといけない、じゃないと俺は永遠に"深夜高速"をやんなきゃいけないぞ、っていうのもあるじゃない。で、あれを超える曲となると、やっぱり言葉と歌で超えようとするでしょ? そうするとミディアム・スローの曲が多くなっていって。そういうところでのストレスもあったんじゃないかな。

年の数え方がもう完全に逆算だもん、俺(圭介)

──  さっきの話だと、昔はグレートや竹安も曲を書いていた、それを久々にやってみた、ということではあるんだけど、ただ、昔書いてたような曲にはなってないんですよね。
鈴木圭介: そうだよね。
──  簡単に言うと、20代の絶望よりも、30代の絶望よりも、40代半ばの絶望の方が深い、という。
鈴木圭介: (笑)そうなんだよね。
──  20代と比べてより現実を知っている、いろんなことを経験してきた、身をもって理解してきた、知識もある。自分の可能性も限界もだいたいわかってしまった。っていう奴の絶望の方が、深いっていうことなんですけども。
鈴木圭介: ああー。っていうことは、10代には刺さらないってこと?(笑)。
竹安堅一: でもさ、自分の才能の限界を感じるとかいうことはさ、20代でも30代でも歌ってきてるわけじゃん。
──  いや、才能の限界っていうか、人生の限界。
鈴木圭介: ああ、それはねえ、とっくに感じてる(笑)。
──  だって17とか18の子は、"地下室"の「本当のことはいつだって 自分の中にはない」っていう歌詞を聴くと「えっ?」てなるでしょ、きっと。
鈴木圭介: (笑)そうだね。自分の中にあると思ってるもんね、若い頃はね。俺もついこないだまで、自分の中にあると思ってたんだもん。「ないじゃん!」って思ったの、ここ最近だから。
──  「己の何にも持ってなさ」を表現することにおいて、鈴木圭介の右に出る者はいないなあと(笑)。
鈴木圭介: 何にも持ってない感じね。
竹安堅一: そうだね、自分の「持ってなさ」っていうの、最近イヤっていうぐらいわかるね。たとえばギタリストとして、ここまで来ちゃって、伸びようがもう一切ないし。昔はもっと、だんだん上達していくんだろうなと思ってたけど。経験値はどんどん伸びていくけど。そういう意味では、スランプ的なものが、ここ何年間かあったよね。
鈴木圭介: あ、そう。壁?
竹安堅一: うん。もう……ギターでどうのこうのやれる問題を通り過ぎちゃってるな、みたいなさ。アレンジとかも含めてのギターのありかた、みたいなのを考えたりもしたけど……それ、プロデューサー的な考え方じゃん。そういう才能もないんだよね。だからその結果、だんだん弾かないようになっていって、そうすると自分のいいところもどんどん消していくわけだからさ。っていうので、自分の何もなさ加減に気づくことは多いよね。
──  だから、基本的にずっと同じことを歌ってきた人だけど、これもある意味同じだけど、でも次のアプローチがあったな、というアルバムになってますよね。
鈴木圭介: ああ、そう? 次を感じる? これ。
──  はい。10年前でも5年前でも書けなかった歌だと思います、間違いなく。よりいっそう逃げ場がなくなってる。
鈴木圭介: ああ、じゃあ、この次がないんだね。
──  次はもっと追いつめられるんですよ。
鈴木圭介: (笑)ああ、そうか。もっときついなあ。だってもう崖の手前まで行ってんだよ? これ。
──  あともう、死とか老いも視野に入ってくるじゃないですか、イヤでも。
鈴木圭介: そう。年の数え方がもう完全に逆算だもん、俺。一昨日ツアーで、山形の酒田に行ったんですよ。2年ぶりに行ったわけですよ。3回目なのね。「あと何回酒田に来れるんだろう?」ってライヴ中に思うもん。そういう数え方になってきた、ツアーやってても。東名阪はしょっちゅうあるから思わないけど、年に一度とかしか行ってないところは、「あと何回来れるんだろうなあ」とか。季節も……桜とか見ても思うもんね。「あと何回見れるんだろうなあ」とか。人生の折り返しを越えて……まあとっくに折り返しは越えてるのかもしれないけど──。
グレートマエカワ: リアルになってきたよね、その感じ方が。

「若い子がわかるかなあ?」っていうのもあるんだけど。でも俺、今回はそういうことを意識しない方がいいと思ったの(グレート)

──  昔、桑田佳祐さんが45歳だった頃にインタヴューしたことがあるんですけど、「不惑なんて嘘だね」って断言されてたんですよ。「桑田でもそうか!」と思ったんですけど──。
鈴木圭介: だってさ、俺の周りの40代でさ、「不惑」って言ってる人、見たことないよ? むしろ「惑」増えてるよ、俺。だってやることが増えちゃってるもん、単純に身体が老いるから。普段から走って鍛えるとか、ライヴ前に発声やるとか、前はそんなことしなくたってライヴやれてたけど、今はそれやらないとステージに立てないんだもん。だからどんどんやることが増えて、迷いばっかり増えていくよね。
──  でも若い時だと「なんでこうなんだあ!」とか歌えたけど、今はその理由もわかってたりするからそう言えない、みたいなところもあるじゃないですか、経験値によって。
鈴木圭介: うだね。だから、1曲終わって決着つきました、っていう感じじゃなくて……答えはその曲の中でつけてるのかもしんないけど、折り合いが悪いというか、後味が悪いというか……ヨーロッパ映画みたいなことですよ、だから。観たあとにすげえ後味悪いじゃん、フランス映画とかイタリア映画とか。ハリウッド映画とかはスカッとするじゃない。日本の昔のヤクザ映画とかもそうだし。スカッとするし、寝る前に観ていいじゃん。でもフランス映画とか、すごい後味が悪いわけ。なんでかというと、そのあとずっと日常が続く、っていうのがあるから。で、日常ってやっぱり、ずっととまどってるし、悩んでるし、くよくよしてるから。たぶん、そういうのが出てるんじゃないの? 「……」みたいな。
グレートマエカワ: だから、若い子が聴いてどう思うかな、わかるかなあ?っていうのもあるんだけど(笑)。でも俺、今回はそういうことを意識しない方がいいと思ったの。たとえばさ、10年くらい前に、『SET YOU FREE』(イベント)に呼んでもらって、銀杏(BOYZ)とかサンボ(マスター)とかと一緒にやらせてもらってさ、"深夜高速"で客席がワーッてなったりしてた頃はさ、「あ、若者にも届くんだ? そうだ、若者にも通じないとダメなんだ」と思ったんだけどさ。でも今は、俺らがやるべきことは、そういう感じでもないな、っていうかさ。もちろん若い子にもすごく聴いてほしいけど、あんまり意識しない方がいいなっていうのはあったかな。
鈴木圭介: 寄せようとすると逆に失敗するのかなあ、って。
グレートマエカワ: そうだね、もともとそんな器用じゃないしね。
鈴木圭介: もともとそんな、狙って歌詞を書いてるようなタイプでもないし。思ったことしか書けないし、根っこのところで、自分が経験したことしか書けないしさ。だからまあ、このままやっていくしかないんだけど……ただ、若いお客さんに来てほしい、10代に観に来てほしい、っていう意識はすごくあったのね。フェスとか特にそうで、10代の子に刺さるようなライヴをやりたい、っていつも意識してたんだけど……でもさ、10代の人口って、このあと減る一方じゃん。
──  はははは!
鈴木圭介: そうするとさ、綾小路きみまろ的にやった方がさあ──。
グレートマエカワ: おまえなあ!(笑)。
鈴木圭介: いや、アルバムを録ってた時は思ってないよ? 最初から中高年をターゲットにする、ってロック・バンドはあまりいないよなあ、と思ってさ。若い頃から何十年もずっと聴いてくれるファンを満足させ続けてるバンドはいっぱいいるじゃない。でも、中高年で新しいファンを広げよう、ってことを考えてるバンドは見たことないなあ、と思って。 45歳、さらにその上の人でファンを新しく開拓するっていうのは、今まで考えたことなかったから。まあ、曲を書く時は何も考えてないんだけど……自分のことを歌ってるんだから、同世代に向けて歌ってることになるんだろうけど。同世代とか上の人に、より届くんじゃないかな、って。それはアルバムを録り終わってから思ったんだけど。
──  その言い方だとちょっとナンなので言い換えますけど、ある程度の年齢で、ロック好きで長いこと聴いてきている、フラカンの存在も知ってはいる、でもファンではない、っていう人、けっこういるじゃないですか。そういう人に「あれ? こんなにいいバンドだったんだ?」っていうふうに刺さるポテンシャルを非常に持っているアルバムだと思います。
鈴木圭介: ああ、なるほど。その路線、いいかも(笑)。

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